街の一角に静かに残る“石蔵”は貴重な建物だった

そうした中、空襲の爪痕を今に伝える貴重な場所が、特に被害が大きかった仙台市青葉区の中心部にあります。旧志ら梅酒造の石蔵です。今回、特別に内部を見せてもらうことができました。

吉岡秀祐さん:
「酒造をしていた時代に、表が奥州街道なのでお米を運び入れていたところと聞いています」

旧奥州街道に面するこの場所には、江戸時代から続いた老舗の造り酒屋、志ら梅酒造の屋敷がありました。

現在は、テナントビル業の代表を務める吉岡さんは、仙台空襲の被害についてこう伝え聞いています。

吉岡秀祐さん:
「これは、上から焼夷弾が落ちてきたから、中のものは全焼した。焼け残ったのがこの金庫です」

大正3年に造られたこの石蔵は秋保石でできています。内部の収蔵品はすべて焼けてしまいましたが、この鉄製の金庫だけが残りました。

吉岡秀祐さん:
「大日本帝国時代の金庫です。文字が彫られています。開けてみますね。土地の売買関係の書類が入っていました。
金の延べ棒入ってないかなって期待したんだけどなにもなかった。紙しかなかった。戦前の記憶を残しているのはこの建物とこの金庫しかないです」