物心両面で果たせる役割が見えた
青島さんたちが立ち上げた現地事務所を足掛かりに、物資を送るほか、ボランティア活動をしましたが、避難生活の受け皿として寺院が心の面でも大きな役割を果たしていることを再認識しました。

被災者の心に寄り添い復興に道筋
災害時の共同生活ではもめごとが絶えません。しかし、そこに僧侶が入るだけである種の落ち着きが生まれます。ある寺では発災後も座禅や読経を続けていたところ「生活にリズムができる」と被災者の参加が増え、いさかいが少なくなりました。私が悲しみにさいなまれている人と向き合った時は「生きるのがつらい時期に支えになってもらい、ありがたい」という言葉をもらいました。現地では「ちゃんとした葬儀を」という多くの要望がありました。悲しみに区切りを付け、復興へ踏み出す後押しを、宗教が担えるからだと思います。
震災で寺院が社会に寄与できる役割が顕在化しました。尊い知見を地域に広めることが私たちの務めと自覚しています。
(左右田さん)
防災ワンポイント:「心を安らかに保つためには」
我(が)を捨てる
命を守ることを最優先に。大切なモノを取りに戻って命を失った方が大勢います。
また、不便・不自由な生活を強いられるときの行動に「素の自分」が現れます。そんな自分を“観察してみる”心の余裕が必要です。心の余裕は日頃から鍛えることができます。
あるモノしかない。物も知識も能力も
災害時に自分の手元にあるものは、これまで自分自身が「備えていたモノ」「情報・知識」「それを生かすことのできる人」しかありません。ないものに文句を言っても仕方がありません。備えあれば憂い無し。一人一人が事前に被害を想定し、シミュレートし、準備する必要があります。
我慢や無理をしない
我慢をしなければならない状態が続くのが災害時です。環境や食事などは少しの間は我慢できますが、長く続けることは不可能です。自分にできること以上のものはできません。必要なものがあるのであれば、誰かに声をかけ助けを求めましょう。そして、休めるときには休みましょう。
施す気持ち
「施す」のは、モノだけではありません。暖かい言葉、優しい笑顔、手の温もり、支え。あなたの何気ない行為や態度が、相手に与えるものは計り知れません。余裕があれば、モノを提供すればいいのです。
相手の悲しみに心砕く
災害時、状況は常に変化します。相手に何が必要なのかを慮(おもんぱか)る気持ちが大切です。家族と連絡を取れずに不安な方、家族を亡くされて悲嘆に暮れている方、話を聞いてほしい方、放っておいてほしいと思う方もいるでしょう。
自分の思い込みだけで行動すると相手をさらに傷つけてしまう場合があります。自分がその立場だったならば、何をして欲しいだろうか。常に相手を思いやり、行動したいものです。助けるとは一方的なことではなく、支え合うことです。困った時は助けてもらい、困っている人がいればできる範囲で助ける。気負わずに。