辞任のタイミングは…
<記者>
10日から2週間以内に証拠を検察庁に提出。検察庁は静岡県沼津支部に提出して、それから速やかに辞任する、こういうことは、2週間後くらいには辞任される。そういうことでよろしいですか田久保市長。
<田久保市長>
事務手続きの進み具合はもちろんあるんですけれども、できるだけ速やかにそういった形になるように、私の進退が示せるようにしていきたいと思っております。
<記者>
辞任した後に当然、それから50日以内にですかね。市長選になるかと思うんですけども、そこに再度出馬するということが、まず疑惑が晴れてから立候補するというのが普通かと思うんですが、なぜその前に後なのかわからないですが疑惑の晴れる前から立候補されるか。その辺についてお聞かせください。
<田久保市長>
私の進退を決める上で、もう一度その出直しという形で選挙に出るということについては本当に葛藤もございましたし、悩みました。皆さんとの会話の中で直接たくさんのお叱りもいただきましたし、たくさんの励ましも、それから何やってるんだということもいただきました。
それはメールであったり、SNSのメッセンジャーであったり、本当にたくさんいただいたんですが、やはりその中で私たちが伊東変えたいと思って行動した思いを無駄にしないでほしいと。そのような意見が多数ありました。私もここにつきましては、本当に今回は私の不徳の致すところでこのような結果になっているんですけれども、ここはやはり責任を持って皆さんの思いに応えて審判を受けるべきである。そのように考えて決断するに至りました。
<記者>
先ほど辞任を表明されましたが、具体的に辞任を心の中で決めたのは、いつ頃になるのかということと、これまで進退について明言を避けてきた中で、7月7日に急遽辞任を表明した、きっかけになった出来事や議会の動きとか何かあったんでしょうか。
<田久保市長>
直接のきっかけでこれがあった、というわけではないんですけれども、直接いろんなお世話になった方ともできるだけ会ってお話をしたりというのがありました。それからたくさんのメッセージいただいたり、メールをいただいたりというのを一つ一つ悩みまして、全部には本当に回答できなかったんですが、そういったものも拝見しました。その中にあって、徐々に私の決意が固まっていったというのが正直なところであると思います。
<記者>
当初はやはり議会だけの動きだけを見ている中では「辞任するつもりはなかった」というふうに考えて、市民の話を聞く中で心変わりがあったということでしょうか。
<田久保市長>
やはり一つの私の節目になりましたのは、大学の窓口で、まず除籍であるという事実を知ったところ、そこも節目にはなっております。そこから私はどのように振る舞うべきなのかということは常に考えてまいりました。その中にあって、7月7日議会が確かに閉会したということもございますので、議会の結果というのも重く受け止めなければいけない。その中で私自身の決断としてそのように思いまして、皆様の方にお示しをさせていただいたそのような次第でございます。
<記者>
地検への上申を決めたということで、この流れになった理由に関しては田久保市長ご自身がここの記者会見で説明しきれないため司法の場に移すという考えですか。
<田久保市長>
はい、私の方でこれは本物である。例えば、これは私はそう思っているという言葉を幾ら重ねましても、それ以上のものにはなりません。それでしたら、勇気のいることではありますけれども、きちんと捜査対象として地検の方に提出しまして、地検に判断を仰ぎたい。そのように考えて、このような決断に至りました。
<記者>
田久保市長は現在も自分が持っているそれが本物だというふうに考えているということですか。
<田久保市長>
本物であるということに不自然さは感じずにきておりますので、今の段階ではそこの部分についてしっかり自分がどう思うかではなくて、第三者のきちんとした捜査機関に調べていただいて、その結果を自分で受け止めたい。そのように思っております。