伝承活動などに取り組む大熊未来塾を立ち上げ、現地でスタディ・ツアーをしています。


(木村さん)「復興して新しいものがどんどんできて良かったという話ではないと思っていて、自分たちの思い出の場所がどんどん消えていく。それが時代とともに消えていくんだったら、それはそれでしょうがないけれども、ある意味奪われたような感じで消えていっているのはとても寂しい」
この日は、関西などから20代の若者8人が参加し、汐凪さんが通っていた小学校を案内しました。


(木村さん)「12年前の3月11日から全く変わっていないので、あの時の地震のままですね。ここ1年2組の教室で、彼女ここで勉強していたんですよね」


「(震災後)3回、ここに入れてもらう機会がありました。その時に汐凪のものを持ち出すことはできたけど、あえて持ち出しませんでした。それを家に帰って保管するよりも、ここにあった方がいいなと思って残してあります。彼女の存在があることで、みなさんにとっても、よりここの状況が身近になる気がする。ここは原子力災害の遺構として残してほしいと思っています」

一帯は、中間貯蔵施設の敷地になっています。
福島県内の除染作業で出た放射能を含む土や廃棄物を2045年まで保管する計画です。
木村さんの自宅周辺も敷地ですが、地区のなかでただ一人、土地の提供を拒んでいます。

「ここは家族とつながれる大切な場所」
その思いから、手入れをして、守ってきました。

自宅の裏に慰霊碑をつくり、汐凪さんが寂しくないようにと、お地蔵さんを建てました。
人が住めないこの場所でも、復興が進みます。