「信州の戦後80年つなぐ、つながる」。安曇野市出身の特攻隊員が残した日記があります。そこにつづられた覚悟と、文字にできなかった思い。戦後80年の今へとつながる、静かなメッセージです。


「櫻花と散り九段に還るを夢に見つ鉄艦屠らん我は征くなり」

この歌は80年前、長野県出身の特攻隊員が残した辞世の歌です。

1945年4月6日、戦闘機に乗り込んだ23歳の淺川又之少尉は、鹿児島県の知覧飛行場から沖縄方面に向けて出撃しました。


又之さんの甥・淺川利夫さん:「こっちはここにいるかね。これが第四十三振武隊で、これ、本当に飛び立つ直前の写真だね。又之は、第一次の日本陸軍の総攻撃の日だったもんでね、4月6日が。それで(カメラマンが)こういう手紙と写真を入れて送ってくれた。飛び立ってからもう1ヶ月も後だけど」

又之さんの甥で、安曇野市堀金に住む淺川利夫さん・84歳。
叔父の写真や遺品を、自宅で保管しています。

1922年、南安曇郡烏川村(現在の安曇野市堀金)に6人兄弟の末っ子として生まれた、淺川又之さん。


松本深志高校の前身・松本中学校を卒業し、東京高等蚕糸学校へ進学。
在学中に、太平洋戦争がはじまりました。