終戦直前に長野市が標的にされた長野空襲を語る集いが開かれ、市民が当時の状況を証言しました。


長野空襲を語る集いは今年で40回目で60人余りの参加者が黙とうしました。

1945年8月13日の早朝から午後にかけて続いた米軍機による空襲は、長野市の当時の飛行場や駅などが標的とされ、47人が犠牲になったとされています。

13日は市内の91歳の男性が間近で見た空襲を証言しました。


小野塚健夫さん(91):「真っ赤な火柱が10メートルふき上がりました。その後、黒煙があがった」

男性は空襲で友人を亡くしたことも語り、「戦争は勝者も敗者もなく悲しむ人を生むばかりだ」と話していました。