能登半島を襲った豪雨災害では、SBCもJNNの取材団に加わりました。9月25日から現地で取材したSBCの丸山記者が現状を伝えます。

【SBC 丸山記者】
私は輪島市久手川町(ふてがわまち)で9月27日まで取材をしました。
氾濫した塚田川流域では住宅4棟が流され、中学3年の女子生徒などの安否が分かっていない状態でした。
被害の現状と、捜索を続ける家族を取材しました。

9月21日、豪雨に見舞われた能登半島。

輪島市では、21日の午前中、3時間の雨量が220ミリに達し、記録的な雨となりました。

輪島市に入ったのは9月25日です。

(丸山記者)「石川県輪島市です。地震から8カ月経った今も復興作業が行われています」

今年(2024年)1月に起きた、能登半島を震源とする最大震度7の地震から復興を進めようと歩み出した中での豪雨でした。

住宅4棟が流された輪島市の久手川町(ふてがわまち)。
取材に入った段階では、町を流れる塚田川沿いで、中学3年生の喜三翼音(きそ・はのん)さんなど3人の行方が分からない状態でした。

この日は、川の流域で自衛隊や警察、消防などおよそ440人体制で捜索が行われました。

(丸山記者)「救急車が到着し担架のようなものが運ばれていきます」

陸上自衛隊が重機で捜索をしていたところ、土砂の中から遺体を発見。
消防隊員が搬送しました。

(丸山記者)「テントと救急車に青いビニールがかけられています」

(捜索隊が周囲に呼びかけ)「道路狭くなっているんで もう少し下がるようにお願いします」

(丸山記者)「行方不明者が見つかったのでしょうか。救急車が動き始めました」

その後、行方が分からなくなっていた井角祐子(いかど・ゆうこ)さん68歳と確認されました。

夫の隆さんは雨のあと、5日間、妻・祐子さんを探し続けてきました。

■井角祐子(いかど・ゆうこ)さんの夫・隆さん
「いや、もう本当に見つかってよかったです。もうそれだけです。(祐子さんは)朗らかで、元気で、孫思いでしたね」

祐子さんは、9月29日に誕生日を迎える予定でした。
誕生日には毎年、寿司やケーキなどを一緒に食べて祝っていたといいます。

(記者)「かけてあげたい言葉は」
(井角さん)「ありがとう、ですね…。外に、山の方に逃げていたら、たぶん、結果論ですけど、助かったと思うんですね」

この日は、ほかに、もう1人が見つかり死亡が確認されましたが、喜三翼音(きそ・はのん)さんの発見には至りませんでした。

■喜三さんの祖父・誠志(さとし)さん
「3、4日経っても望みは捨てていない。奇跡でも起こるんじゃないかと思って。何とか生きているんじゃないかと思い続けている。暖かい布団に寝かせてあげたいという思い。今は」

その翌日の、9月26日。

(丸山記者)「午前6時半ごろです。捜索隊が現場に入り、作業が始まりました」

4頭の災害救助犬も投入され、捜索が行われましたが、激しい濁流によって地形が変わっていることから、捜索は難航。

(丸山記者)「豪雨災害から6日目の久手川町塚田川です。流木が撤去されたエリアでは、スコップで穴を掘るなどして捜索が行われています」

草むらをかき分けたり、棒を使って土砂の中にあるものを確認したり、手作業での捜索が増えていました。

(丸山記者)「塚田川の下流にある海岸です。ここでは、喜三翼音(きそ・はのん)さんの使っていたとみられる枕などが見つかっていますが、いまだ翼音さんの行方が分かっていません」

海岸には塚田川の上流から流れてきたと見られる、直径30センチを超えるような大木や後部が変形した車などもありました。

この日は、海岸を重点的におよそ1.5キロにわたって捜索。

喜三翼音(きそ・はのん)さんの父・鷹也(たかや)さんも流木をひとつひとつ片づけながら捜索を続けました。

29日も、川の下流の竹やぶから翼音さんの制服が見つかり、一刻も早く、翼音さんを見つけ出そうと、懸命な捜索が続けられました。

【キャスター】丸山さん、喜三翼音(きそ・はのん)さんに関して新たな情報がありました。

【丸山記者】福井県の沖合で女性の遺体が見つかりジャージに「喜三」の文字が書かれていたということです。
警察が翼音(はのん)さんの可能性があるとみて身元の特定を進めています。
インタビューに応じてくれた祖父・誠志(さとし)さんは、「暖かい布団で寝かせてあげたい」と話していましたので、ご家族のことを考えると胸が痛みます。

【キャスター】現地はどのような状況ですか

【丸山記者】1月の震災からまず生活の再建が始まったところでしたが、より被害が大きくなってしまったと感じました。
地震で避難した人が住む仮設住宅では、床上まで浸水し、ようやく住み慣れた住まいを離れなくてはならない状況になっています。

生活の支援や道路などのインフラの整備も大切ですが、地震から気持ちを少し立て直しつつあった中で今回の豪雨被害ということで心のケアも重要だと感じますし、私たちが出来る支援をこれからも考え続けることが大切だと思います。