日本初開催の東京デフリンピック。耳が不自由な人たちの世界大会です。サッカー男子日本代表は、きょう11月25日にトルコとの決勝に臨みます。
この試合に先発出場する予定の湯野琉世選手(熊本県八代市出身)がデフサッカーを知ったのは、今回のデフリンピックでハンドボールに出場している、同じ熊本出身の選手がきっかけでした。
2人の出会いと、活躍を振り返ります。

隣の部署にいたのが、岩﨑さんだった
湯野琉世選手がデフサッカーを知ったのは19歳の時、高校卒業後に就職した北九州市の会社でのことでした。
デフサッカー日本代表 湯野琉世選手(25)「隣の部署で働いていたのが岩﨑さんで、僕が普段から補聴器をつけていたので、それを見て『デフサッカー知ってる?』という感じで声をかけられたのがきっかけで、デフの世界に入りました」
声をかけてきたという同僚は、デフリンピックハンドボール日本代表、八代市の北に隣接する宇城市出身の岩﨑先育選手でした。
2人は約5年間、同僚として過ごし、家族ぐるみの付き合いも生まれました。
その関係は今も続いています。
湯野選手「デフリンピックに向けて、調子どう?とか2日に1回くらいLINEが来て、仲良くやっています。友達みたいな感じで、先輩ではなく手話があるからこそ距離感も近く話せているなと思う」
デフサッカーを知ったことが人生の転機になった湯野選手は、日本代表の中心選手として活躍するようになり、チームは2023年の世界選手権では銀メダル、2024年のアジア大会では金メダルを獲得しました。
一方、デフハンドボールも日本代表が発足し、今回のデフリンピックでは、2人揃って世界の大舞台への挑戦となりました。
岩﨑先育選手「20年ぶりに現役に復帰しました」
湯野選手「人生を変えてくれた岩﨑さんには感謝しているし、お互い日本代表選手として金メダルを取ることが目標だと思うので、金メダルを取って感謝の気持ちを伝えたい」









