長崎で被爆し、家族を失った96歳の男性が熊本市で暮らしています。あの時、日本に流れていた「空気」とは何だったのか。今を生きる私たちに問いかけます。

郡家徳郎さん「この戦争は負けるよと言った友達が1人いた。みんなが『非国民だ』といっていじめた」

戦時中の記憶を語る郡家徳郎さん、96歳。社会全体が戦争に染まっていった中学生時代の「空気感」について口を開きました。

担任教師が、教室で郡家さんたちに「軍人になれ」と呼びかけた時のことです。

郡家さん「ある時、担任が目をつぶらせて人の顔見ないようにさせて『とにかく今の状態では軍人が必要だから、手を挙げろ』って言って」

郡家さん「中には進んで志願する人もいたけども。なかなかいないから半分強制的に」

中学3年生の時(1944年)

郡家さんは周囲の空気に流され一度は手を挙げましたが、最後には断りました。

郡家さん「とにかく国を挙げての戦争だった。そういう空気が今の人には分からない。当時は新聞だってラジオだって『戦争戦争』の状態で、それがもう当たり前になっているから」

やがて学徒動員が本格化。授業の代わりに、郡家さん達は軍需工場で働くようになりました。