コーヒー豆を運んできたトラックを誘導していた忍さんは、運転手がアクセルとブレーキを踏み間違えたことで、壁との間に頭を挟まれて亡くなりました。
29歳でした。
「救急隊員の方から聞いたのは、忍は生きよう、生きよう、と思って、ものすごく息をしていたと。でも、救急車の中で息を引き取ったと」

東京から熊本へ、無言の帰郷。
悲しみに暮れる家族や、忍さんの交際相手が駆け付けた時の様子をこのように振り返ります。
「彼女さんとは、結婚が決まっていました。『お母さん、私、結婚式じゃなくてお葬式で初めて熊本に来たんです』と、泣きながら言っていました。娘(忍さんの妹)も本当に悲しくて『お兄ちゃん、お兄ちゃん』とずっと言っていて」
こんなにも愛されていた息子が、叶えたかった夢・・・。
深迫さんは設計事務所に電話をかけました。
「息子は天国に行ったんですけど、続きは私がやります。そのままお店を建ててください」