
家族は基本、福岡市に住んでいました。真太郎さんが中学生の時に体調を悪くして、スポーツ好きだったのにほとんどできなくなってしまいました。そんなとき「島留学」制度ができ、おばあさんとお母さんの実家も島にあるので、おばあさんと一緒に中学3年生の1年間、島の小中学校で過ごしたんです。
学校は、今や全校8人しかいません。その島で真太郎さんは過ごし、海や釣りが大好きになって、船乗りになろうと思ったんです。今は航海士になって、1年のうち何か月かは日本中の海のどこかにいます。戻ってきて、また島のカフェを作るお手伝い。思い入れがある島なんです。

真太郎さん:人生の分岐点……ここで大きく変わったなって思います。島の人たちにいろいろお世話になったので、今度は自分から何か恩返しできるものがあればと思って。島民の方も応援してくださっているので、その気持ちにも応えたい。
福岡に住みながらも守ってきた、築100年のお母さんの実家を改修してカフェにして「人が集まる場所を作れないか」と若い2人が取り組みました。全部手作りです。カメラが密着して、4か月かかったリフォームをずっと撮っています。クラウドファンディングを募り、近くの人からお手伝いしてもらう様子も出てきます。その人たちが、本当にいいですね。私も田舎の生まれなので、非常に密なこの世界はいいなと思いました。







