「サラエボにU2を」あり得ない思いつき

神戸:1990年代の悲惨な戦争、ユーゴスラビア内戦は、同じ国の中で民族が違うというだけで殺し合いになってしまいました。この戦争にU2がどう絡んだのでしょうか。
関根:旧ユーゴスラビアのボスニアにあるサラエボは約4年間、セルビア軍に包囲され、歩くだけでもスナイパーに撃たれ、戦車がやってくる状況でした。今のウクライナのような状況ですが、日常生活があったのです。そんなサラエボに、アメリカ人の若い援助活動家がいました。彼が、平和の象徴、抵抗の象徴であるU2をここに呼びたい、と思いついたんです。本当に突拍子もないことです。しかも危険なサラエボに呼ぼうとする。それをずっと追いかけた映画です。本当の主人公は彼かもしれません。ヨーロッパツアー中のボノ(U2のギター・ボーカル)に、会いに行くんです。
神戸:映画に、その映像もありましたね。
関根:U2と、実際にヨーロッパのコンサート会場で会えました。そしてボノは「サラエボに行くよ」と言ったのです。しかし、あまりにも危険なので、戦時中は無理でした。戦争が終わった1995年から2年後、1997年9月23日、ライブを行ったんですが、これが映画の最後のあたりに出てきます。ものすごく感動的な場面で、約5万人が集まって、なんと敵同士も集まったそうです。

神戸:今まで、民族・宗教が違うことで殺し合いをしなければいけない状況に追い込まれていた人たちが、集まって1つの会場でボノの歌を聞いたわけですね。
関根:そうなんですよ。僕はネナド・チチン=サイン監督にインタビューしたのですが、監督は旧ユーゴスラビアのクロアチア出身。お父さんがクロアチア人、お母さんがセルビア人、なんと戦った民族同士なのです。そして今の妻はアルバニア人。彼は生まれた瞬間から「何人でも平等なんだ」「人は人である」と教わって育った、というのです。監督が今住むアメリカでも分断が広がる中、人々をつなぐ音楽のかつてコンサートを伝えたかったので、2023年に映画が完成したのです。

【ネナド・チチン=サイン 監督】
旧ユーゴスラビアのクロアチア出身。1980年にアメリカに移住。父がクロアチアに戻り、1992年からアメリカとクロアチアを行き来し、クロアチアで戦争の一部を経験。短編映画『Samuel David』(2018年)がローマ映画祭で最優秀短編賞、長編『The Time Being』(2012年)はトロント映画祭で最優秀撮影賞。最新作『キス・ザ・フューチャー』は、2023年ベルリン国際映画祭で初上映され、サラエボ映画祭で観客賞を受賞した。