過去の教訓と未来への議論
「スポーツは努力か才能か」というのは永遠のテーマですが、圧倒的に強い男性は検査を受けることはない一方で、圧倒的に強い女性について、その理由を不断の努力でなくホルモンや染色体のせいにするのは、男女の能力差を前提にしても極端すぎないか、という意見にはやはり一理あります。
フランスのロクサナ・マラシネアヌ・スポーツ大臣はかつて「競技に出る女性には他の女性より強い女性がいるし、競技に出る男性には他の男性より強い男性がいる。それがスポーツの大原則であり、最も優れた成績の者が勝者なのだ」と述べましたが、最もシンプルな考え方といえます。
『アザー・オリンピアンズ 排除と混迷の性別確認検査導入史』というノンフィクションがあるのですが、優生思想を国是としたナチスはベルリンオリンピック開催が決まるとスポーツ界に介入し、いわゆる「女性らしさ」を欠く選手を狙い撃ちにして、偏見に満ちた性別検査をしたことが書かれています。
いまトランプ政権下のアメリカでも、ここまでひどくないにしても、多様性を否定して「世界には男性と女性しかいない」というようなことが進められていますが、非常に懸念される事態です。
「女性が女性と公平に競技する」という公平性と、「誰もが競技に参加できる」という公平性、この二つの公平性のバランスを取るというのは言葉で言うのは簡単ですが、そう簡単なことではよく分かったと思います。明確な答えはなかなか出せないのですが、いまは特に排除の論理が幅を利かせている時代になっていますから、過去の教訓を生かして、せめて行きすぎのないように議論していかなければならないと思います。
◎山本修司

1962年大分県別府市出身。86年に毎日新聞入社。東京本社社会部長・西部本社編集局長を経て、19年にはオリンピック・パラリンピック室長に就任。22年から西部本社代表、24年から毎日新聞出版・代表取締役社長。