「戦争遺構」をガイドブックに
ガイドを務めた江浜明徳さん(73)は元高校の教員で、退職後に九州に残る戦争遺構400か所を巡り、ガイドブックにまとめてきました。
各地で撮影した大量の写真はアルバムに保存しています。

江浜明徳さん(73)「ここに今までの本を出すための写真集(アルバム)があります。あわせて300冊くらいだと思います」
戦後生まれの江浜さんが現在の活動を続けてきた原点は、子供の頃に両親から聞いた空襲の体験だといいます。

江浜明徳さん(73)「山を越えた博多の方で火の手が上がっているのが雲に反射して見えると。父は本当に中心街・博多区の大浜地区に住んでいましたたが、もちろん家はまる焼けで、戻ってみたら何も残っていないと。同窓生をたくさん亡くして戦争は絶対にいけないと私に言っていたのがずっと私の心の中に残っていました」
小学校にも空襲伝える遺構が
福岡市内に残る遺構を江浜さんに案内してもらいました。まず訪れたのは博多小学校です。

江浜明徳さん(73)「焼け焦げたドアが見えておりますけれども、これが福岡空襲の際に焼けた理科実験室のドアになります」
「これこそ、戦争の悲惨さの生きた教材だと私は思いますね。これを見ればですね。子供たちはこんなに戦争は悲惨だったんだとこんな被害を受けたんだともう絶対に戦争はいけないと。やっぱり本当のものを見て感じ取ってくれるのではないかと」

博多小学校には空襲で落とされた焼夷弾や市民がかぶっていた防空頭巾、当時の学校職員が記録していた防空日誌が保存されています。
続いて訪れたのは博多区大博町の立石ガクブチ店です。

RKB金子壮太記者「福岡市博多区に残る防空壕です。当時ほとんどの家で、床下に防空壕を掘っていたということです」

江浜明徳さん(73)「唯一、福岡市内で(床下式の)防空壕が見られるという貴重な場所なんです」
35年にわたって九州各地の戦争遺構を取材してきた江浜さん。これまでに取材した遺構の中にはすでに無くなってしまったものもあります。