りつこさんには、貴光さんからもらった大切なものがあります。大学入学を前に、家を出て離れて暮らすときにもらった一通の手紙です。

一緒に西宮市の下宿先を確認したあと、広島に帰るりつこさんを見送るため、貴光さんが、新大阪駅まで付き添ってくれたときでした。

りつこさん
「私はこのときある決意をしました。子離れしなければいけないと。1人の大学生、社会人として息子がこれからどんなことをするのか、後ろから応援しようと。決意したと途端に涙が溢れてしまってね。泣いてしまったんですよ」

涙が溢れたと同時に、新幹線のドアが閉まりました。すると、貴光さんが自分の上着ポケットを指差しました。「なんだろう」と思い、自分のコートのポケットを確認すると、そこには手紙がきれいに折りたたんで入れてありました。

りつこさん
「新大阪駅から広島駅まで何度も読み返して、号泣しながら帰りました。こういう風に育ってくれてよかった。もうこれからは息子ではなく、1人の学生、そして社会人として後ろから応援しようという気持ちを、改めて強められた手紙なんですけどね。でもこれはもう遺書みたいになってしまった」

手紙につづられていたのは、りつこさんに対するこれまでの感謝の気持ちと1人で立派に生きていくという決意でした。

息子・貴光さんからの手紙(全文)
親愛なる母上様
 あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう20年になります。これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく、温かく大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
 私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること・・・。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。
そして今、私はこの翼で大空へ飛び立とうとしています。誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。
 これからの私は、行き先も明確でなく、とても苦しい“旅”をすることになるでしょう。疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも多々あることと思います。しかし、私は精一杯やってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
 こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。住むところは、遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたはひとりではないのですから・・・。
 それでは、くれぐれもからだに気をつけて、また逢える日を心待ちにしております。最後にあなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。
                          翼のはえた“うし”より

手紙の最後に記された「翼のはえた“うし”」はもちろん貴光さんのこと。”うし”というのは、母と息子の間でのみ使われていた貴光さんの愛称でした。

「こう思い込んだら突っ走る。もう絶対曲げないのだからやっぱりタカ(貴光さん)は丑年生まれだね」
”ウシ”は、こんな親子の何気ない会話から生まれたものでした。

りつこさん
「最後に『あなたを母にしてくれた神様に感謝の意をこめて』と結んでありますが、ここまで言ってもらったら母親として凛と生きていかなければと思わせてくれる」