そしてきょう(10日)、迎えた原爆展の日…。


竹本秀雄さん(原爆展での証言)
「生きていて良かった…」

竹本さんの証言を聞く会には、およそ90人が集まりました。

被爆当時、竹本さんは3歳。フィルムに写っている男の子が自分であること…。自分を背負っていたのは当時11歳だった竹本さんの兄の定男さんであること。お兄さんは若くして亡くなったことを話しました。


竹本秀雄さん
「兄貴には必ず礼を言います。助けてくれてありがとうと」

これまでの人生を振り返ったうえで、竹本さんの話は、ロシアのウクライナ侵攻にもおよびました。

竹本秀雄さん
「戦争は絶対反対。原爆絶対反対です。いま(核の)ボタンを押せばドーンといきそうな時期ですけど、それだけは絶対にやめてほしい」

講演の最後。当時3歳児だった竹本さんが、子どもたちに語りかけました。


竹本秀雄さん
「学校でお友達をいじめたり、ケンカをしないように。人を嫌いにならないでね。人を好きになってね」

証言を聞いた女の子(小5)
「話を聞いて、みんなと仲良くしていきたいし、きょう聞いたことをみんなに広めていきたいと思います」


証言を聞いた人
「(77年間語ってこられなかったのですが…きょう初めて…)これはすごい勇気だろうと思います」


証言を聞いた人
「差別的なことはいっぱいあったと思う。戦争の悲惨さを後世に伝えるというのも」


証言を終えて、竹本さんは…。


竹本秀雄さん
「もう、すべてをお話しするつもりでいます。いつでもそれは。そういう方がいればね」

求めがあれば、これからも体験を語っていきたいと、おだやかで、すっきりとした表情を見せてくれました。

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いま、伝えたい ~広島の放送局に残る映像~

核を巡る緊張が高まっている状況だからこそ、わたしたちRCCは、これまで取材させていただいた被爆者の皆さんの声をお届けしなくてはと考えています。
以下、局に残る貴重な映像をまとめています。

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