店は、ことし1月に開業したばかりです。

忠司さんは38年前、親せきに誘われ、日本製鉄 瀬戸内製鉄所の前身「日新製鋼」に入社し、大型重機の運転などに携わってきました。

岡峰忠司 さん
「3交替で勤務して朝昼晩、24時間動くんですけど、たいへんでしたね」

当時、製鉄所は “重厚長大” 型の産業を支えた呉市のシンボルでした。

岡峰忠司 さん
「38年間、お世話になって、すごく思い入れもありますし、ある程度、誇りもありました」

2020年、“製鉄所の閉鎖” は突然、発表されました。

岡峰忠司 さん
「一番最初に聞いたときはデマじゃないかというくらい、それくらいの驚きです」

会社に残り転勤するか、それとも呉に残るため退職するのか…

岡峰忠司 さん
「(高齢の)親もいるし、呉から離れることは選択肢になかったですね。それが一番ですよね」

2021年、忠司さんは日本製鉄を退職し、呉に残ることを選択しました。

岡峰早苗 さん
「主人がずっと日鉄しか勤めていなくて、ほかの仕事ができるのかとか、いろいろ悩みましたね」

岡峰さん夫婦は、知人が高齢でお好み焼き店を閉めることを知り、引き継ぐことを決めました。お好み焼き店を開くことは、早苗さんの夢でした。

岡峰早苗 さん
「協力してくれるって、みんなが言ってくれて、そこに少し甘えて、いちかばちかやってみようかなと。ダメだったらすぐやめようと」

岡峰忠司 さん
「軽い気持ちだったんですよ、わたしは。鉄板で焼いて出せばいいという感じだったが、料理するにあたって保健所に許可もらったりとか、飲食組合に入るとかいろんなことがありました。ここに至るまで」

岡峰さん夫妻は、呉商工会議所に相談し、公庫から融資を受け、オープンにこぎ着けました。