助産師にもモデルが… 三好ウメヨさん ジャーさんと孫の出会い
詩に登場する助産師にもモデルがいました。「三好ウメヨさん」―。小嶋さんがいまも感謝を忘れないウメヨさんは、自らも大けがをしながら、地下室で小嶋さんを取り上げました。
詩の中で ”産婆” は亡くなりますが、ウメヨさんは戦後も助産師を続けました。

ヒロシマ賞の授賞式には、小嶋さんも駆けつけました。そしてジャーさんは初めて、ウメヨさんの孫・三好智史さんとも会うことができました。智史さんの話では、ウメヨさんは生前、地下室での出来事について多くを語らなかったといいますが、「どんどん死んでいく人を見送る中で、生まれてきた赤ちゃんにほっとした」と話していたそうです。
アルフレド・ジャーさん
「これは奇跡だ。詩の中の赤ちゃんは生きていた。助産師のお孫さんにも会えた。こんな出会いがあるなんて!」

個展に展示されるのは、「生ましめんかな」も入れて全部で9点。
光が降り注ぐこちらの作品。実際に広島市内で誕生した赤ちゃんたちの”産声”が、それぞれの生まれた時刻に響き渡ります。

上空から見た原爆ドームが姿を変え、突然、送風機から強い風が吹く「ヒロシマ、ヒロシマ」。
どれも五感に訴えかける印象的な作品です。
「ジャー展」を見た人
「一言で言い表すのが申し訳ないくらい、本当に真摯にヒロシマに向き合われててすごくびっくりしました」
「このくらい広島のことを微細に表現して下さっていて、本当に感動しました」

廃墟から生まれた新しい命「生ましめんかな」がつないだ出会い。ジャーさんの希望のメッセージは作品となって広がっています。
日本では初めての本格的な個展となる「ヒロシマ賞受賞記念 アルフレド・ジャー展」は、広島市現代美術館で10月15日まで開催されています。