藤本勲さん(1992年)
「ようこそ、粟田の地へおいでくださいました」

藤本さんの言う「楽しい農業」には、どんなメッセージが込められていたのでしょうか? 30年前、アイガモ農法を導入した当時、藤本さんはこんな話をしていました。
藤本勲さん(1992年)
「これからはコメの市場開放もあるだろうが、そのときに生産者が消費者としっかり結びついていれば、輸入自由化なんか怖くない。そんな気持ちでみんな、一生懸命やっている」

藤本勲さん(1993年)
「(アイガモ農法を)生産者と消費者が一緒にやれば、地域おこしにもつながる。アイガモはもっと大きな力を持っている」

藤本さんは、「コメの輸入自由化から地域のコメ作りを守るには多くの消費者の理解が必要」と考えていました。そして、藤本さんにとって「生産者と消費者をつなぐシンボル」がアイガモでした。
藤本さんは今、あらためて消費者との連携を考えています。県に受賞を報告したとき、ウクライナをめぐる問題に関連しての発言です。

藤本勲さん
「今、小麦が取れなくなって、価格がものすごく上がっている。だけど、日本で唯一、自給できるのはコメ。今度はコメを食べようという運動が起きないかな」

農園は、息子の聡さんが後を継いでいます。

息子 藤本農園 藤本聡社長
「消費者が喜んでいるのは、消費者を裏切らなかった。ふるさとを裏切らなかった。地域に対しての愛情とか見習いたい」

表彰を受けた藤本さん…。これから受章者の座談会に参加します。あいさつの最後をこう締めました。
藤本農園 前社長 藤本勲さん(74)
「中山間地が本当に難儀をしている姿を中央に持っていって、ぶつけてやりたい」