今も続く復旧工事… 過疎化に拍車で地区の世帯は被災前の半分以下に

西本さんの自宅には裏山が崩れて大量の土砂が流れ込みました。孤立した市原地区に災害ボランティアが入れるようになったのは、災害の発生から3週間後でした。
西本さんはしばらく家族だけで作業をしていました。自宅は数年かけて自力で修復したといいます。
災害前には畑があった西本さんの自宅裏では、今は治山ダムが建設されています。ダムから流れ出る土砂がたまらないように水路の整備もことしから始まっています。

西本正 さん
「8割は安心できるんじゃが、50年・100年先まで住めるようにしようと思ったら、もう少し(水路を)かさ上げしてほしい」
西日本豪雨を受けて県は市原地区に19の治山ダムの建設を計画。これまでに13のダムが完成しています。
災害直後から地元の要望を県や市へ伝える中心を担ったのが、市原地区の自治会長・中村正美 さんです。
市原地区自治会長 中村正美 さん
「やっぱり雨音ね。あのザーとかゴーとかいう雨の音ね。あれはやっぱり災害直後に何回も避難指示が出たでしょ、あれを思い出すね。最近、安心できとるのは治山ダムができたけんね。そう意味ではある程度、安心はできとるね」
大量の土砂が流れ込み、壊滅的な被害を受けた田畑も少しずつ戻りつつあります。呉市は、2億円の予算をかけて市原地区の農地整備を進めています。ようやくことし、コメ作りができるようになった田んぼもあります。
市原地区自治会長 中村正美 さん
「5年ぶりで初めての田植え。やっぱり気持ちがいいし、これ見よると安心できるよね」

一方で、災害は集落の過疎化に拍車をかけました。5年前に24世帯だった住民のうち残ったのは半分以下の11世帯でした。
市原地区で生まれ育ち、今は集落を離れている 河原洋治 さん夫婦です。7月4日、所有する田んぼの様子を見に帰ってきていました。河原さんは、5年前の土砂災害で実家にいる母親を亡くしました。
河原洋治 さん
「(市原を継ぐ)次の人がいないんですよね。これからどうなるんか…。5年・10年後はどうなるかね。息子らが帰ってやりゃいいんじゃろうけど厳しいんじゃないかなと思いますよね」
今も自宅裏の復旧工事が続く西本正さん。不安があると言いながら、市原地区を離れる気はありません。
西本正 さん
「人はそりゃ多いほどええわの。少ないほどさみしい。できりゃ、ここへ住んでもらいたいわ。ここへ住んどった者はの。でも無理もないわ、あれだけ怖い目にあったら。それぞれ思いはあるけん」