これまでに90か国以上で被爆証言の活動を続けている 田中稔子 さんです。6歳のときに爆心地から2.3キロで被爆した田中稔子さんは、腕や頭にやけどを負いました。家族は無事でしたが、多くの友人を原爆に奪われました。

田中さんは、70歳のとき、ピースボートに乗船したことが証言を始めるきっかけになりました。これまでに90か国以上で被爆証言をし、ことしもアメリカに渡り、自身の体験を伝えました。

さらに7年ほど前には、国内外の人を招き入れるため、自宅に交流スペースを設けました。若い世代とも積極的に交流し、次の世代へも思いを紡いでいっています。

また、七宝焼作家でもあり、作品を通じても核兵器廃絶と平和を訴えています。
青山高治 キャスター
幅広い活動されている田中さんですが、ここまでG7広島サミットをどのように感じていますか?
被爆者 田中稔子 さん
とてもうれしいですね。広島で、平和の地で各国の今、戦争をどうしようかって言っている人たちが集まるということは、もしかしたら方向転換がちょっとでもできるような場に向かう、そういうことが広島の地で起こったらうれしいなと、非常に期待しつつも、ドキドキしながら、ダメかなと思ったり、非常に今、危機感と希望が、ない交ぜになっております。
青山高治 キャスター
本当に幅広い世代をご存知で、いろんな国で被爆証言の活動をされていますけど、そんな田中さんだからこそ感じる部分があるんでしょうね。
被爆者 田中稔子 さん
被爆証言というと、わたしは70歳からやっと始めたんですけど、聴衆の方がたの反応が変わってくるんですね。今までは、原爆は落とすのは仕方がないっていうような人もいたんですけれど、アメリカでは特にそういうふうにおっしゃっている。ところが、4月にアメリカに行って、大学でお話したとき、みなさん、ロシアのプーチンさんのことがありますから、みんな、自分ごとにちょっとなって、やっと時間が…。今の持っているのも危ないんじゃないかとたいへん反応が違う。

国際ジャーナリスト モーリー・ロバートソン さん
そう、そう。やっと、そこまで来ましたか。
被爆者 田中稔子 さん
だから今、政治をやる方は、ちょっと若い方の方向に少し変わらない。全然、違ってきました。イェール大学でスタンディング・オベーション…
モーリー・ロバートソン さん
本当にもちろん、原爆はたいへん大惨事だったんですけど、このような進歩があったことは本当にうれしく思いました。この若いアメリカのミレニアム世代・Z世代と呼ばれる人たち、実は投票率は少しずつ上がっています。そうすると、選挙が4年ごとに大統領選ありますよね。そういう方たちが増えていくにつれて、立候補する人もその有権者の方を向かなきゃいけないから、昔の古い考え方で「原爆はアメリカの正義だった」なんて言って当選できる人がいなくなる。アメリカが変わってしまえば、世の中は変わると思います。みなさんのおかげです。