広島サミット初日の19日、核保有国を含むG7首脳がそろって被爆地・広島市にある平和公園を訪れます。平和公園にある原爆資料館の元館長で被爆者の 原田浩 さんにその意義を聞きました。

原田さんは、1993年から4年間、原爆資料館の9代目の館長を務めました。原田さんは、6歳のときに爆心地から2キロの広島駅で被爆しました。大学卒業後、広島市の職員になり、1993年、原爆資料館の館長に就任。150か国の要人を案内し、核兵器の悲惨さを伝えてきました。
また、原爆ドームの世界遺産登録に向けて尽力。さらに当時の 平岡敬 市長による「核の非人道性」についての国際司法裁判所での陳述の実現に力を注いで、「核兵器の使用は一般的に違法」という裁判所の勧告的意見につながりました。
原爆資料館 元館長 原田浩 さん
― 広島の地でサミットが行われる。どんな思いですか?
「非常に意義深いことではあろうと思います。どういう格好で具体的な議論がなされるのか、そしてまた、それがどういう格好で世界に発信できるのか、見極めないと、今回のサミットの評価はできないと思っています。これだけそろってお見えになるということは、歴史的にも、後にも先にもないことだと思いますので、非常に意義深いと思いますけれども、やはり、行動にどう結びつけていくことができるのか、そこを見極めたいという気持ちでいっぱいです」
共同通信社 編集委員・論説委員 太田昌克 さん
「原田さんは、わたしの大恩人のお1人で、ずっと原爆、そして被爆の惨状、ずっと教えを請うてきた恩人の方でいらっしゃいます。今、原田さんから『後にも先にもない』と。全く、わたしもその通りだと思うんですね。核保有国の首脳が、G7の3か国、プラス、インドのモディさんがやって来て、おそらく、これ、最初で最後の機会であるし、最初の最後のチャンスでもある。非常に歴史的といいますか、今、おっしゃられた行動とメッセージの中身によって、まだ評価できませんけども、非常にそういった最初で最後のチャンスであるということは今、原田さんのお話をお聞きしまして、あらためて強く認識しました」
原田浩 さん
― チャンスを生かしてほしいという思いは?
「今までいろんな方をお迎えしましたけども、問題はやっぱり被爆体験をきちっと受け止めて、それを自分のものとしてメッセージを発信してくださるかどうか。1つは、そこにかかっていると思います。しかも、そのためにはやっぱり原爆資料館の館内の展示をしっかりと見極めていただきたいということ。もう1点、やはり被爆者の立場からお話をすると、今の資料館の展示が決して十分であるとは思っていません。と言いますのは、わたしどもが体験した被爆の惨状というのは、あんなものじゃなかったと言いたいんです。一番やっぱりそういうところの議論が展示の技術からすると、あれが限界だろうという気持ちもないではありませんが、しかし、もっともっと、あの惨状を伝えるような方向づけをしていただきたいと思います。もし、それができ得るならば、わたしも含めて原爆資料館の中には入館できないと思います。それほどひどい惨状があったことをお互いにしっかりと受け止めていただきたいと。だからこそ、被爆者の声をしっかりと聞く。そして、それをセットにして世界に向かって発信してくださることを心から願っています」