事件をきっかけに、広島市安佐北区では新たな動きがありました。地元のコミュニティセンターで、介護をしている男性やこれから介護をするかもしれないという男性たちが月に一度、100円の参加費で気軽に足を運んで、介護について話ができる会=「かめやまケアメンの会」が発足したのです。


去年、この事件のあと、新聞記事を読んだ介護をしている男性から「この人と自分は何が違うのか…」と相談が寄せられ、それがきっかけで、社会福祉協議会や地域住民などが話し合って、ことし1月に本格始動したといいます。

会にはケアマネジャーや行政も参加し、在宅介護の支援についてアドバイスもします。

この会の関係者は、「当事者同士で気持ちを話せたり、弱音をはけたりするような場所があることで、介護をうまくやっていくための力になれるのではないか」と話します。

事件から1年を迎えようとしたある日、私は、村武さん夫婦の自宅がある住宅地を訪れました。自宅のチャイムを鳴らしてみましたが反応はありませんでした。住宅の外にあるガス栓には、「閉栓中」の文字がありました。しかしなぜか、自宅の玄関や、植木などに荒れた様子はありませんでした。

実は、近所の人たちが、哲也さんの家の周りを掃除していたのです。


向かいに住む森脇康則さんは、村武夫妻との思い出を話してくれました。

(向かいに住む森脇康則さん)
「私の孫が遊びに来たときには、奥さん(亥聖子さん)が窓から顔を出して『あんた、おいでおいで』って言って、孫におもちゃをくれたことが何回かありましたね。すごく可愛がってもらった。哲也さんとは飲みに行ったこともありました。」

事件前を振り返ると、森脇さんは、何かしてあげられたのでは?と後悔する気持ちもあるのだといいます。

(向かいに住む森脇康則さん)
「哲也さんは、ここ数年目に見えるほどに痩せてきていた。病気もあって『体が痛いんじゃ』と言っていたが明るく振る舞っていました。事件があった日、私は家の窓から救急車が来ていたのを見ていた。寂しかった。町では、コロナ禍になって一堂に会することが減ってしまっていたんですよね。過去を振り返ると立場的には私はつらい。責任を感じている。つっこんで話を聞くべきだったのか…。」
「村武さんがいつか戻ってくるかと思って、玄関にかかっている傘を毎日見ていたんですよ。帰ってきたら傘を取るだろうから、目印になると思っていたんですよ。でもこの傘は誰も使うことはないんですよね…。本当に仲のいいご夫婦でしたよ。本当に可哀そうなことです…。」
「奥さん(亥聖子さん)が花の世話が好きで、病気になる前はきれいに手入れしていた。この前、村武さんのところのチューリップが4本くらい咲いたんですよ。立派なチューリップでね。なにかの思いもあったのかもしれん、チューリップにも。」

事件の関係者によると、村武哲也さんは、去年の秋、亡くなっていました。私が取材した近所の人たちも、哲也さんが亡くなっていたことは知らなかったそうです。

(中国放送/山崎有貴)