ワールドカップで日本代表を指揮した 森保一 監督は、長崎の高校を出たあと、マツダサッカークラブに入部、サンフレッチェ広島で選手・監督を経験。20年以上住んだ広島はまさに第二の故郷です。
新年が明け、その広島に帰ってきた森保監督…。

ワールドカップを闘っていたときの思いに加え、監督としてのあり方の原点となっている広島時代の話、ノートの秘密、建設中のサッカースタジアムについてなど、RCCの単独インタビューに応じました。

●広島に帰ってきました、お好み焼きもすでに食べました
RCC小林康秀キャスター)※以下、小林
あけましておめでとうございます。
森保一 監督)※以下、森保
おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
小林)
そしておかえりなさい、広島へ!
森保)
ただいまと言ってよろしいですか?ありがとうございます。そう言っていただけて、うれしいです。

小林)
ワールドカップ後に日本に戻られて、広島に戻ってこられるのは初めて?
森保)
そうですね。年明けに。はい。
小林)
広島に帰ってこられてしたいこととか、何か思いを持って今回帰ってこられましたか?
森保)
広島でお世話になった方いっぱいいるので、全員の方々と会いたいですけど、なかなかそれはできないですね。あとは、なかなか広島の自宅に帰ることができていなかったので、家でゆっくりしたいなというのはあります。
小林)
なるほど、そうですか。まだ、そういったご挨拶という形では回られていない感じですか?
森保)
回れないと思います(笑)でもこうやって、RCCさんだったり、メディアのみなさんに取り上げていただいて、これまでの応援のお礼を伝えられるというのは、すごくいい機会なのでありがたいです。
小林)
なかなかいろんな方とはお会いできないかもしれないですが、広島のものを食べて帰りたいとか?
森保)
そうですね、はい、むさしのお弁当も食べましたし、お好み焼きも既に食べてますし笑。
小林)
はやいですね!
森保)
速攻です(笑)
いや、美味しいです、広島の味がして、本当になんか落ち着きますね。
小林)
ワールドカップが終わられた後日本に戻られて、怒涛の日程だったんじゃないかと思うんですが、いかがでしたか。
森保)
おっしゃる通りですねワールドカップ終わってからの方が忙しいぐらいな感じで、いろいろと経験させてもらいました。
ワールドカップ終わってからは、いろんな方々と会う機会があったり、メディアの皆さんも呼んでくださったりっていうことで本当に人と会うことと、こういう機会をいただいて、これまでの応援のお礼をお伝えさせていただける機会は作ってもらえて本当にありがたかったですね。
●紅白の審査員も経験…「スポーツと音楽、同じような魅力」
小林)
紅白歌合戦の審査員も経験されましたけど、なかなかないことじゃないかなと。
森保)
一生に一度かなと思って、見に…というか経験させてもらいましたけど。
我々はサッカーの持つ力であったりスポーツの持つ力で、アスリートの持つ力を社会にどうやって還元させていただくか、社会貢献させていただくかということを考えて活動していますけど、紅白歌合戦に出場させていただいて、音楽の持つ力とアーティストの皆さんの持つ力ってすごいなと思いましたね。
スポーツはもちろん違いますけど、やはりその音楽の持つ力…、コンサート感覚で、やはり生の迫力に触れるっていうことは経験させてもらった中で、これはなんか、ドはまりする人の気持ちがわかるなと思いました(笑)

小林)
監督自体もドはまりしそうな?
森保)
時間があればいろんなコンサートに行きたいなって思う気持ちになりましたね。
その空間の中でスポーツもそうですし音楽もそうだと思いますけど、日常にできない、非日常の喜怒哀楽をそこで爆発させるとか、感情を爆発させる、さらけ出すっていうか、そういうことができる空間だなっていうことは、すごく感じましたね。
サッカーを通しても、日本の国民の皆さんであったり、サポーターの皆さんが見ていただいて、一喜一憂する、喜怒哀楽を、喜ぶこともあれば、何やってんだよって感情をストレートに発散できるというかさらけ出せる、そういう日常のストレスの解消になればいいと嬉しいなと思っている中で、スポーツと音楽は、本当に異業種でありますけど、同じような魅力あるなっていう。紅白で感じさせてもらいました。
●岸田総理とノート交換、広島つながり
小林)
それからいろんな方にご挨拶っていう中では、総理官邸にも選手の皆さんと訪れてあいさつなどされました。いかがだったしょうか?