家中に響き渡る悲鳴 怖くて逃げた…「せめてそばに」

利子さんが身につけていたブラウス(寄贈:大本徳夫 所蔵:原爆資料館)

原爆投下から10日後。利子さんを可部(現・広島市安佐北区)の疎開先に連れて帰ることができました。

しかし、薬はなく、すったキュウリをうどん粉にまぜて傷口に貼るだけ。取り換えるたびに、利子さんの悲鳴が家中に響き、怖くなった久夫さんは、家の外に逃げたといいます。

大本久夫さん
「叫びあげる、死に物狂いで叫ぶ。それはもう言語に絶する声なんで。きょうだいが苦しみよるのに、それを怖いといって家の外に逃げたのが、本当にみじめで、姉に申し訳なくて。せめてそばにおってあげたかった、姉のそばにですね…」

大本久夫さん(2021年取材)

想像を絶する痛みに耐える利子さんが久夫さんにかけた言葉があります。

大本久夫さん
「自分が醜くなっているのを分かっていますからね。だから、『久夫さんの嫁さんが来んようになるから、私は死んでいかないけん』って言いましたよね。ほんと、せつないです」

原爆投下から2か月後、利子さんは息を引き取りました。いまでも姉が生きていてくれたらと思い続けています。

「恋をさせてやりたかった。これが一番でしょうね。」