
阿部さんは、18歳の時、爆心地から1・5キロの平塚町(現広島・中区)で被爆しました。半袖のブラウスを着て、建物疎開の作業をしていました。
阿部静子さん
「右側から原爆で右半身、この手も焼けて皮膚がべらっとむけて垂れ下がっていました。そういうふうな状況で広島をあとにして逃げていった」
なんとか一命を取り留めたものの、阿部さんの顔にはやけどの傷跡が残りました。

それは、まだ少女だった阿部さんの心にも深い傷を負わせました。
阿部静子さん
「近所の心ない青年たちに『赤鬼、赤鬼』とはやし立てられとても悲しかったです」