当時の頼 武夫 医師が書いた手紙(長男 正夫さんが朗読)
「昭和20年の8月6日…。『クツもない』と書いている。浴衣ひとつで、出てきたわけですから」


当時の頼 武夫 医師が書いた手紙(長男 正夫さんが朗読)
「急報、昨朝八時半、一大閃光と共に大地震同様、家屋全壊。小生、倒れた家屋に閉じ込められ、しばらくして抜け出て。昨夕、公三も同様なれども、ともに命を全うせり。小生、これより防空救護に働く。洋服、なるだけ悪いやつ。下着類・クツが欲しい。田中氏のクツを1足寄付してもらいたい」※田中氏は 頼 武夫 医師のおじ


頼 正夫さん
「8月6日の午後から救護していたんです。初日は浴衣だけでやっていたんじゃないですかね。寝間着だから」

正夫さんは、自分を治療してくれた看護師やそれまで元気だった人が倒れ、死んでいったのを忘れることができないと話していました。


頼 正夫さん
「炊事の方とか、われわれを助けてくれた方々が、鼻血が出たり、食欲がなくなったりして倒れられて。それはもうショックでしたね。われわれもいずれはそうなるという考えをしていました」


「トイレに行って、手洗いに行ったら人が亡くなっている。ちょっとどいてくださいと言っても動いてもらえずに、ちょっと押したらゴロっとひっくり返る。そういうところで亡くなっている人もいらっしゃいました」


「今の医学だったら助かった人が、たくさんいらっしゃっただろうなという気はしていますが。親父も一所懸命、24時間の勤務だったろうと思いますけどね、よくやったなと思いますね」

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いま、伝えたい ~広島の放送局に残る映像~

核を巡る緊張が高まっている状況だからこそ、わたしたちRCCは、これまで取材させていただいた被爆者の皆さんの声をお届けしなくてはと考えています。
以下、局に残る貴重な映像をまとめています。

「『助けて』という姉を見殺しに… 誰にも言えなかった」 悔い続けた弟
「次、死ぬのは私の番… そればかり思っていた」 医師と患者… 救護現場の記憶
「髪は抜け、腕は糸のように…」 9歳と7歳の姉弟もその後 亡くなった 続く放射線の被害
「姉は苦しみだけの人生だった」 失明、脱毛… 当時18歳だった少女の"戦後"
廃墟の広島で撮影された少年 「あれは77年前のわたし」 初めて男性が戦後を証言することを決めた理由