「父の背中に無数のガラス片・・・」8月6日、あの日の記憶

1945年8月6日。当時5歳だった廣中さんは爆心地からおよそ3.5キロ離れた己斐町の自宅近くの小川で遊んでいるときに被爆しました。


廣中さん
「ドーンという音と、爆風がすごくてごーっという音を立ててやってきた。渦を巻いてやってきた目の前を。爆風の驚きと一緒に私は後ろに転げてね。」

何が起こったのか、訳の分からないまま必死に防空壕に逃げたといいます。廣中さんに大きなけがはありませんでした。

一方、父・一さんは通勤中に爆心地からほど近い紙屋町付近を走る路面電車の中で被爆。自力で歩いて自宅にたどり着きましたが…。


廣中さん
「父の姿を見ると、背中の肉が見えていて真っ赤。その背中を見ると、ガラスがいっぱい刺さっていた。何センチも出ているんだ、ガラスが。」

背中には電車の窓ガラスの無数の破片が突き刺さり、やけどは全身に及んでいました。

廣中さんは自身の体験を画と共に、1冊のノートに書き綴っています。