復帰50年を迎える今年、改めて届けたいRBCのリポートを送る「アーカイブ特選」。
今回は「バヤリース」について。沖縄が日本に復帰した72年に外資(米国資本)から会社を買収して販売を続けた当時の人たちの思いを伝えた2007年のリポートです。

40代以上の方には懐かしいボトルではないでしょうか?復帰前、沖縄には31の清涼飲料メーカーがありました。バヤリースもその一つ。

当時の31社のうち26社は姿を消し、4社は大手系列化に入りました。独立して今も残っているのはバヤリース1社だけ。
バヤリースの商標と原材料はアメリカのものですが、沖縄で生産し沖縄人(ウチナーンチュ)が経営する沖縄の会社。しかし、復帰年前まではアメリカ人が所有する外資企業でした。
バヤリースは復帰前、浦添市の軍道1号線、今の国道58号沿いに瓦屋根の工場を構えていました。


当時は米国人のマクガイアファミリーが大株主で、民間市場だけでなく米軍向けにも出荷し業績は順調に拡大していました。

転機を迎えたのは復帰の年、1972年。その年の1月「沖縄が日本になればマーケットがどうなるか分らない」と突如、マクガイアファミリーは会社を売却しアメリカに帰ることを決断します。
売却先は県内のある大手食品メーカーに決まりかけていましたが、その時総務部長として交渉の通訳を務めていた安里さんは買収されれば大変なことになると知ってしまいます。

沖縄バヤリース 安里祥徳会長(当時)
「バヤリースを『買いたい』という会社の社長と会い、従業員をどうされるんですか?と聞くと、『バヤリースの社員は一人も要らない。ウチの会社で十分対応できるから一人も要らない』と言われた。」

買収されれば全員解雇。この時点で復帰まで3ヶ月しかありません。安里さんは会社の幹部を集め対策を考えました。そこで出た答えは社員同士が出資して、社員による会社買取り

もちろん話は簡単ではありません。当時社員の給料は100ドル程度でしたが、会社の買取りに必要なのは30万ドル
「無謀な計画」と、130人いた社員のうちおよそ半数が会社を去っていきました。
残った従業員が貯金をはたき、親戚から借金をして資金をかき集めますが、集まったのは14万ドル。目標の半分に満たない額でした。
沖縄バヤリース 安里祥徳会長(当時)
「で、それで沖縄の経済 界の有力者の方々20名以上を訪問して出資をお願いしたが、『復帰後 はどうなるのか全然見通しがつかない。』、『アメリカ人も見込みがないと思ってやめたんだろ。だから出資は応じられない』と次から次へと断られた。」

それでも、何とか数名の資産家の投資を得て、復帰の1ヶ月前になんとか会社を買取り、新会社「沖縄バヤリース」設立にこぎつけました。

復帰後は本土勢の進出に苦しみながらもシェアを守ってゆきますが、1980年に最大の経営危機が訪れます。冷蔵庫の大型化を背景に他社が1リットルの大型瓶で果汁飲料を販売し人気を集めます。
小型ボトルしか持たない、バヤリースの出荷量はわずか1年で33パーセント下落しました。「このままでは会社が潰れる」これに対抗しようと当時の経営陣は、野心的な企画を立てます。
「相手が1リットルならこっちは先手を打って1.5リットルで勝負!」。事前の市場調査では手応えがありました。しかし、これは経営を揺るがす判断でした。
沖縄バヤリース 安里祥徳会長(当時)
「発売をして、これはし まったと思いました。お客さんが『重すぎる』と敬遠した。大型瓶を 出したのは失敗だったなと気付いた。」

結局、赤字は続き83年には初めてのリストラを実施、16名が会社を去りました。