仲尾次区 宮城一喜区長
「ここにミサイルが1つこう立っていたという。3つまであったのは覚えているんだけどね」

■ミサイルの台座跡

■配備されていたホークミサイル

緑の茂みに覆われたコンクリート。円形に縁どられた鉄状の台座はミサイルの発射台の跡です。ここに配備されていたのはアメリカ軍のホークミサイル。太平洋と東シナ海を見渡す、現在の名護市・多野岳の頂上にミサイル基地がありました。

山の麓、仲尾次区の宮城一喜区長は幼い頃、年に数回基地が開放された際にその様子を目にしていました。



仲尾次区 宮城一喜区長
「両サイドにはライフルを持ってこの中には人は入れなかった。周囲から見ることはできたんだけど中には入れてくれなかった」

いとこがこの基地で勤務していた松田憲和さん。当時、基地のことが話題にあがることはほとんどなかったと話します。


いとこがミサイル基地で勤務 松田憲和さん
「その辺については、あの時にはノーコメントということで、彼も話してくれなかった。その辺のことは話してくれなかったです。また知ろうとも思わなかった、あの当時は」

山の頂上に築かれたミサイル基地。当時その実態はベールに包まれていましたが生活のため住民も山へ出入りしていました。



松田さん
「生活の燃料、薪ですね、あるいは材木の場所だったとそういう風に私は覚えています。生活をするために、生きるために青い木を切って出していくのが、そこの場所・生活の場所だったと私は思います」
■1945年の本島北部の風景

沖縄戦で焦土と化した中南部に対し大きな被害は免れたやんばるの山々。多野岳の木々も建築材や燃料として生活を支える貴重な資源の1つでした。アメリカ軍はなぜその山を接収しミサイル基地をつくったのか。背景には2つの大国の存在がありました。