4大会連続でパラリンピックに出場し2016年のリオ大会では銅メダルを獲得した仲里進選手45歳。しかし東京パラリンピックは代表選考から外れ5大会連続の出場を逃しました。

久しぶりに、練習風景をのぞくと少し“印象”が変わっていました。

仲里進選手
「東京パラも終わって、気分一新と言いますか、新たにということで、
長くトレードマークだったモヒカンを断髪式を終えました、ハハハ。年齢も年齢ですし、ああいう髪形をいつまで続けられるかもあったので」


2003年から日本代表として活躍。2004年のアテネ大会から4大会連続でパラリンピック出場を果たし車いすラグビー界をけん引してきた仲里。2016年のリオパラリンピックでは銅メダルを獲得し、県民栄誉賞が贈られました。

県民栄誉賞授与式での仲里選手
「東京パラでしっかり選ばれるように、皆さんにまた違う形で恩返しで
きるように頑張ることが感謝の気持ちといいますか、これからの糧にな
るのかなと思います」

しかしその後は若手も台頭する中、厳しい代表争いと、新型コロナの影響で思うような練習ができない日々も続きました。


仲里選手
「実際は2020年までの気持ちを作っていたんですよね、アスリートとし
て2020年東京パラを目指す。2020年だったらもう少し残れるかなって
自信はあったんですけど、コロナで1年延びて2021年、さすがにこの1
年でいろいろ体だったりいろいろあったので。多少は年を感じる部分はあったかなと思います、あとは、まあね、こういうことはあんまり言いたくない、年のせいにしたくないんですけど、そうじゃないようにって頑張ってはいたんですけどね。想定はしていたことではあったんですけど、実際に告げられるとショックな部分はありましたね」

去年3月日本代表から外れ18年間の代表生活が終わりました。現在は所属する沖縄ハリケーンズの選手兼ヘッドコーチとして後輩たちへの指導を続ける仲里。
前向きに競技に取り組む仲里にこんな質問をしてみました。

仲里選手
「Qちょっと落ちた気持ちが、前向きになるきっかけってあったんです
か?うーーん、時間ですかね。まあでも、うまくは言えないけど、こういう言葉であっているかわからないけど、代表から落ちたことでホッとした部分も。長く代表をしていくことで制限だったりプレッシャーだったりいろんなものも。何だろうな、やりがいもあったけど、そういうのから一回降りれるのかなと思った部分ももしかしたらあったかもしれないですね。後輩たちが僕らに代わって日本代表になってくれたりとか、ラグビーだけじゃなく、ネクスト仲里、(東京パラ出場の)上与那原、喜納みたいな選手が沖縄から出てくれることを願いながら、ラグビーだけじゃなくて色んな競技に貢献できたらと思っています」


健常者プレーヤー 成田信頼さん(15)「Qどんな存在ですか?うん、怖いお兄ちゃんみたいな。
仲里選手「オイ!(笑)」
成田さん「(仲里選手は)誰よりも楽しんで本気でプレーしているから、自然とこ
っちもノってくる。自分が強くなることでチームのレベルが上がって選手のレベルも上がる。(仲里選手は)指示もアドバイスも的確なので、最近はメモを取るようにして同じことを注意されないようにしてます」

3年ぶりに開催される日本選手権の優勝をめざし沖縄ハリケーンズで練習をつづける仲里。そして今、新たな取り組みにも挑戦しています。

それは、、車いすソフトボール。沖縄に初めて結成された「琉球ワイルドキャッツ」で練習を始めています。初めて障がい者スポーツに取り組むチームメイトは、こう語りました。


舩木勇孝さん
「進さんが名前を最初に聞いていてくれて覚えてくれてて5結構いじっ
てくれるんですよエラーしたときとか「もっと早く舩木」て。一気にチームになじめたというか、あえてやってくださっているんでしょうけど、今思えば本当にありがたかった。健常者の方々に支えられてスポーツできればラッキーみたいなかんじ
だったんですけど、主役にもなれるし導くこともできるだなって、(仲里選手の)背中を見ていつも思います」

パラアスリートとして障がい者スポーツの魅力を発信し続ける仲里「体が動いてくれる限りはやりたいと思っています。50歳ぐらいまでは一線でやれないかなと思っています」と語る


Q東京パラ銅の上与那原選手も50歳ですからね?
「そうなんですよ、あのおじさんがいるから僕辞められないんですよ笑」
これからも、そのプレーと姿で沖縄のパラスポーツ界を盛り上げていきます」
と話す仲里選手の目には変わらぬ決意が感じられました。