77年目の終戦の日を前に「NO WARプロジェクトつなぐ、つながる」。10日は大分県宇佐市で戦争の記憶を子供たちに伝える元教員の思いをお伝えします。
8月6日、宇佐中学校で行われた平和学習で、講師を務めたのは元教員の柳敦則さん85歳です。戦争体験を語る際、自身で収集した資料に触れることを大切にしています。

(柳敦則さん)「(子どもたちと)77年という時代の大きな差があるんだけど、一緒になって感じるというか」

終戦の8年前、昭和12年に生まれた柳さんは宇佐海軍航空隊があった柳ヶ浦地区で育ちました。子どもの頃の記憶は航空隊の思い出と重なるといいます。

(柳さん)「兵隊がよくかわいがってくれてね。撃ち方を教えてくれた。うちの家にも何回か泊まって、いろいろ話をしながら寝た記憶があります」
しかし、その後戦況が悪化し、宇佐は激しい空襲に見舞われようになります。昭和20年の4月にはアメリカ軍が500発以上の爆弾を投下、飛行場は壊滅的な被害を受け、多くの人が亡くなりました。
予科練の兵隊だった男性は当時の様子を次のようにつづっています。
ー駅館川の河原で爆撃で死んだ先輩や戦友たちの死体を運び油をかけて焼きました涙を流すと「軍人は泣くな」とたたかれるので一生懸命涙をこらえて焼きましたー


柳さんの自宅の庭にも曳光弾が落とされ、300メートル先で爆弾が炸裂しました。
(柳さん)「その時の感覚がいまだに焼き付いて離れない。浮き上がるんです、ドーンと、体が浮き上がる死の直前にさらされたような怖さは頭から離れない」
五感に強烈に残る感覚を子どもたちに感じてもらおうと爆弾の破片や父親が戦地から持ち帰った水筒など20点の戦争資料を集めています。
自分たちの住む宇佐の戦争の歴史を肌で感じた生徒は平和の尊さを実感をした様子でした。

生徒「戦争の恐ろしさはあってはならない考えが当然になることだと思うので平和のために正しい考えを持てるようにしたいです」「いろいろ聞いたり調べたりして次の世代に受け継いだり発信していくことが大事」


20年以上平和授業を続けている柳さん。国際情勢が緊迫する中で、戦争が繰り返される現実に目を向けてほしいと訴えています。

柳さん「ウクライナの惨状をテレビで目にして怖がってる子どもたちの姿を目にして私の77年前の(体験)が重なって子どもたちも一体となって平和授業ができた」

戦争体験者の語り手が年々減少する今、柳さんは戦争の記憶を命ある限り、伝えていく思いを強くしています。