ちょっとひととき…懐かしい “昭和の長崎”を感じてみてください。
NBCライブラリーに残る映像で振り返ります。
世界初の海上空港の建設が着工したのは1972(昭和47)年1月でした。


波静かな内海である大村湾の沖合に浮かぶ箕島(みしま)を切り拓いて造られた新しい空港──それが長崎空港です。
長崎空港ができる前の長崎県の空の玄関口は、現在の海上自衛隊大村航空基地の場所にありました。
名前も長崎空港ではなく、大村空港と呼ばれていました。民間の「大村空港」と、自衛隊による共用空港として運用されていたのです。

しかしその後、観光客や商用による利用者の増加、航空機の大型化に伴い、滑走路の延長の必要性や騒音問題が生じ、その解決を目的として世界初の海上空港が建設されたのです。

海上空港の利点としては、周囲に障害となる地形がないため、パイロットが離発着しやすいことです。また、内海である大村湾は、高波が発生しにくく安定した気象条件であることも選定の理由となりました。



1972(昭和47)年1月22日、箕島を望む大村市の農協青果市場で、県の関係者や箕島の島民ら600人が出席して起工式が開催されました。

式典では大村市の伝統芸能「黒丸踊」が奉納されています。

当時の丹羽運輸相が基石を除幕して着工を祝いました。


島肌を削るダイナマイトの轟音が工事の開始を告げ、祝福の拍手が響きました。
新たな長崎空港はこの2年後に誕生します。

先祖伝来の大切な土地を手放し、島を去るという箕島の島民たち。
しかしその苦渋の決断なしに、長崎空港の建設は実現しませんでした。