軍艦島の名で知られる長崎港沖の端島(はしま)
明治時代から約100年にわたって操業が続けられてきたこの炭鉱も、ついに閉山することになりました。

今から50年前の1974(昭和49)年1月15日、現地で閉山式が行なわれました。

端島炭鉱は良質な石炭を産出した海底炭鉱で、日本の近代化を支えたヤマの一つでした。

最盛期には年間41万トンを出炭しました。

最盛期の1960年代には5,000人以上の人が住み、当時、東京を抜いて日本一の人口密度を誇っていました。

島内には小中学校をはじめ、病院や映画館、神社までがあり、映画館やパチンコなどの娯楽施設も整っているなど、生活に必要なものすべてがありました。
島民の多くが当時最先端のカラーテレビや全自動洗濯機を持つなど、生活水準はかなり高かったそうです。

閉山式は島内の端島小中学校体育館で開催。関係者780人が出席して閉山を惜しみました。

汗と粉じんにまみれ、過酷な現場で採炭にあたってきた端島の炭鉱マン。その平均年齢は当時40歳を越えていました。

長崎公共職業安定所の端島臨時相談所が開設され、求人票を食い入るように見る人々。閉山で職を失ったヤマの男たちは新たな仕事を求め、家族とともに第二の人生を送るための試練が待ち受けていたのです。

軍艦島は、2015年7月に「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に正式登録され、現在では多くの観光客が訪れる人気観光スポットとなっています。

放送局が撮影した 長崎の映像を配信している『ユウガク』より