■ 思いを受け継ぐ若い世代

被爆2世 平野 伸人さん:
「この人にも、あの人にも全部当たったけど、もう、とても被爆者は ”ウィーンまで行く体力がない” と。(今回は)被爆者亡きあとの運動のモデルケースになるんではないかと。こんなことないですもんね、今までは…。全部、被爆者が引っ張ってきていたんです」
平野 伸人さんは高校生平和大使派遣委員会の共同代表をつとめています。
被爆者亡き後の世界を見据え、24年前に誕生した高校生平和大使は、今回、両被爆地から1人ずつを派遣します。

長崎からは高校3年の神浦 はるさん。
実は神浦さん、小学6年から3年間、父親の仕事の関係で『ロシア』に住んでいました。

第24代 高校生平和大使 神浦 はるさん (17):
「ことしの4~5月くらいは、自分があまり体調が良くなかった時期があって。ニュースを見てるのが辛くなったので…本当にすごく素敵な所だった。住んでいた時は、みんな本当に優しくしてくれたので、実感があまりわかない。今国内がどうなってるかもよく分からないですし」

核兵器に怯えて生まれた平穏は 平和とは呼べない──
神浦さんはそう訴えるつもりです。
神浦 はるさん:
「せっかく任せて頂いた大役なので、自分にできることを全力でやってこようという気持ちになっています」

12日、オンライン上で行われた『U-35 出発式』
締約国会議にあわせて渡航する日本各地の『アンダー35』の14人です。

KNOW NUKES TOKYO 長崎市内 大学生 山口 雪乃さん (19):
「渡航中は日本の高校生と現地を結ぶインスタライブであったり、現地でのバナーを掲げたアクションなどの実施を担当しています」

長崎大学 多文化社会学部 福永 楓さん (24):
「”学びのお土産” として持って帰って、何らかの形で還元していきたいと思っています」

KNOW NUKES TOKYO 中村 涼香さん (21):
「これだけ世界中が力を合わせて核兵器を無くしていこうとしているので、それを何とか日本にも空気感を持ち込んで。締約国会議が終わってすぐ ”参院選” もあるので選挙の争点にしていくことも非常に重要なことだと思っているので」
長崎市出身で上智大学 3年生の中村 涼香さんは、核問題を知ることを当たり前にしていくために去年「KNOW NUKES TOKYO」という団体を発足。

現地に行けない被爆者を代弁するアイデアとして、今回、長崎原爆の被爆者で神奈川県在住の 福島 富子さんの着物(白地に "和 Peace" の文字)を着て活動します。

被爆者 福島 富子さん(78):
「中村さんと徳田 悠希さんが(着物を)持って行ってくれると言うので、私は嬉しくて嬉しくて。ついて行きたい!って言った記憶があります」
■ 鬼籍にいった人たちの思いとともに
日本から渡航し、現地で活動する被爆者は10人足らずです。

オーストリアへ渡航する被爆二世 井原 和洋さん:
「父親もまだ活動している気持ちでいるので、一緒に行くような気持ちですかね」

井原 和洋さんの父親、井原 東洋一さん(享年83)は、被爆者団体の元会長で、長年、長崎市議会議員を務め、被爆者援護に力を尽くし、2019年に亡くなりました。

被爆者手帳友の会 朝長 万左男 会長は、日本政府代表団の一員として、締約国会議、前日の国際会議に出席します。

朝長 万左男さん:
「核兵器国のうち一つでも、”自分たちは、もう核をやめました” と出ないといけないわけ。そういうきっかけにこの締約国会議がなるかどうか。それを被爆者が言わないといけない。被爆者しかそれはできない」
日本政府不在で間もなく始まる第一回 締約国会議。
本来なら国が果たすべき ”核被害者の声” を届けるため『高齢の被爆者』と『その思いを受け継ぐ若者たち』が現地、ウィーンに渡航します。