長崎市に残る被爆建造物の中で最も大きい三菱の船型試験場が、被爆78年のことし、初めて一般に公開されました。

爆心地から1・6キロ。長崎市文教町にある「三菱造船船型(せんけい)試験場」、通称「船型(ふながた)試験場」は戦時中の1943年に建てられました。今も当時の建物と試験水槽が現役で使われており、今回初めて一般に公開されました。

爆薬を積み敵艦に体当たりする「特攻兵器」の研究が行われていたこの試験場では原爆で4人が死亡。屋根は吹き飛び壁はひび割れ傾きました。しかし水槽は無傷で今も当時と同じ船の推進性能の研究が行われています。

三菱重工総合研究所・松本大輔主席研究員「緑の壁が地面に垂直に立っております。当時は最大で5度から15度くらい傾斜したんですけど、壁を引き起こして現在は約3度傾斜が残ったまま復興した」

参加した三菱の従業員「そこに寮があって住んでたんですけど全然知りませんでした。貴重な機会なのでなるべく連れてこようと思って(子供と一緒に)参加しました」
参加した小学生「みんなでなおして今も使われているからすごいと思いました」

戦前の姿を留める貴重な被爆遺構。三菱では今後も市民に公開する機会を作っていきたいとしています。