母は何度も「原爆でこういう体になったんだから いじめないでほしい」

松谷 英子さん:
「爆風によって飛んできた屋根瓦が私の頭に直撃したわけなんですね。
5センチ(傷の)深さだったらしいのね。
(救護所の)先生が仰るには『この子は生きてるのか?』って。
私がもう死んだようにしてるもんだから。
先生は『もし傷が浅かったら承知しないよ』って。
やっぱり、もうたくさんの患者さんで先生も気が立ってたと思うんですよね。
それで、ちょっと離れたところにハサミを取りに行って、私の傷の周りの髪の毛を切って、中を覗かれたらしいんです。
そうしたところ、傷が深かったもんだから『申し訳ありませんでした。手遅れです』って言われたらしいんです」

頭蓋骨は陥没。
傷口から膿が流れ続け、塞がるのに2年半もかかったそうです。
脳を損傷し、右半身に麻痺が残りましたが、懸命に練習して何とか歩けるようになり、一年遅れて小学校に入学しました。

宮崎 香蓮さん:「少女時代っていうのは、どういったものでしたか?」

松谷 英子さん:
「いいことなかったね。いじめにあいました。
歩く姿を後ろから真似するんですよ、男の子なんかは。
誰でもまっすぐ歩きたいけど。
私がしゅんとして学校から帰ると、母が『今日は学校で何かあったやろ?』って言うんですよね。気づいてね。
そいで学校でいじめられたことを話すと、次の日に(学校に)行って、この子は原爆で怪我してこういう体になったんだから、いじめないでやってほしいということをお願いしてくれました。
母は学校の門をどれだけくぐったかわかりませんね」