紋付き袴で式典に出席していた田川元市長(現市長の祖父)

娘を探し、原子野をさまよった田川元市長は必ず“紋付き袴”で夫婦で平和祈念式典に参列していました。

田川 務 元市長:(1966年の平和祈念式典)
「平和宣言。身を持ってその恐怖・悲惨さを体験した我ら長崎市民は、世界の恒久平和を念願し、常にその実現を訴え続けてきた」
止まらない核兵器の開発競争。二度と使ってはならないと訴えてきた被爆者の平均年齢は85歳を超えました。

鈴木 史朗市長:(恵の丘長崎原爆ホームで入所者に)
「両親の顔と、そのまま重なり合って見えます」
7万4千人の犠牲者と、紙一重の差でつながれた命。私たち一人一人に核なき世界を実現する願いは託されます。

鈴木 史朗市長:
「歴代市長がずっと受け継いできた“平和宣言”。私も被爆二世として、その思いを引き継ぎながら頑張っていきたいと思っております」

母・智子さんが90歳を迎える8月9日、鈴木市長は被爆二世の市長として世界に“平和宣言”を発信します。(ここまで2023年8月配信記事)
―――被爆後80年、智子さんは一度も8月9日の誕生日を祝うことなく過ごしました。92歳で旅立った鈴木智子さんの通夜は14日午後7時から、葬儀・告別式は15日午後2時から、長崎市光町の平安社長崎斎場本館で営まれます。











