NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第15回は、三菱工業青年学校工場通称・マルハ工場です。

爆心地から南東におよそ600メートル。

長崎市岩川町、現在の山王公園の場所にあったのが、三菱長崎造船所浜口町三菱工業青年学校工場です。

当時は、浜口町にあったことから「マルハ工場」と呼ばれていました。

原爆の強烈な熱線と爆風によって、工場内の工作機械200台と木造2階建て4棟の工場は全壊・全焼しました。

被爆者・小野和子さんの証言:
「焼け野原だった…なんとも言えない虚しさがありました」

マルハ工場に会議に出かけたまま行方不明となった小野和子さんのおじ、近藤明さんの遺体は、家族のもとに戻ってはきませんでした。
被爆者・小野和子さんの証言:
「叔母たち家族が叔父を探しに行ったんですけど、骨も何も分からない…一番ひどい所でした。一生懸命、何日も、何日も捜した。亡くなったとしか思えないので、みんな落胆し悲しみあいました」

工場では、職員だけでなく女子挺身隊員や動員学徒らも働いていて、338人が死亡したと銘板には記されています。