NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第13回は、「穴弘法奥之院霊泉寺」。多くの被爆者が、岩から湧き出る清水を求めてたどりつき、力尽きて息絶えた人もいました。

爆心地から東南東におよそ1.2キロ。標高130メートルに位置する穴弘法奥之院霊泉寺(長崎市江平1丁目)。開山は1790(寛政2)年で、廃仏毀釈によって荒れ放題になっていた社殿を、大正時代に整備したと伝えられています。

浦上地区から金毘羅山を越え、長崎市街地へと抜ける山道の途中にある「霊泉寺」は、すさまじい爆風をまともに受け、建物はすべて全壊しました。

堤祐心住職:
「本堂が倒壊してしまって、境内にある石仏も首が飛んだりー。石づくりの鳥居も原爆の爆風で飛んでしまって、こういう形に崩れてしまった」

寺の境内にある銘板には「原爆が投下された後、逃げ場を求める被爆者が列をなして押し寄せ寺に着いた後、息絶えた人もいた」と記されています。

霊泉寺で被爆した堤寛子さん:
「水をくれ水をくれって言ってね。さまよってる人たちが這いながら来てたんですよ。女の方でしたけど、ここがね。ここがもう真っ赤で赤じゃなくて、なんかピンクみたいな。赤みたい。焼けただれたのがひどかったですね」

堤寛子さん。5歳の時、この寺で被爆した堤さんは80年前、目のあたりにした惨状を18枚の「絵」に残しています。

堤寛子さん「金比羅山が真っ赤に燃えるんじゃなくて焼けてた炎なんて見えてない真っ赤に焼けてるそれが強烈でしたね」

寺の湧き水は、8月9日の平和祈念式典で、水を求め亡くなっていった原爆犠牲者のために毎年、捧げられています。