被爆当時16歳だった小幡悦子さんは、爆心地から1、2キロの三菱兵器製作所茂里町工場で仕事中に被爆。
2階の床から宙づりになっていたところを助け出されたが、両足に重傷を負いました。翌日、リヤカーを持って駆け付けた母や姉とともに、自宅へと戻ります。

3か月後、大村海軍病院に入院し、合計で6回、足の手術を受けましたが、膝が曲がらない不自由な生活を戦後も余儀なくされました。
昭和32年からは「被爆者の店」に50歳まで勤め、その後も被災協の仕事を手伝っていました。(1998年撮影)