被爆当時城山国民学校5年生だった下平さん。
爆心地から約1km離れた油木町の防空壕で、2つ下の妹と、1歳になる甥と一緒に被爆しました。原爆で母と姉と兄を失い、ともに生き残った妹は盲腸に。病に、生活に、様々な苦しみに悩まされた妹は自ら命を絶ってしまいました。
「核は絶対に人間と共存できない」下平さんは、平和祈念式典で平和への誓いを読み上げたほか、修学旅行生にも自身の被爆体験を語ってきました。次の世代に語り継ぐこと、平和の大切さを訴えることが原爆で亡くなった人たちへの責任だと感じています。(1991年撮影)