長崎市沖に浮かぶ端島、通称「軍艦島」。その特異なシルエットから、戦時中にアメリカ軍の潜水艦が“本物の軍艦”と誤認し、魚雷を発射したという「逸話」が語り継がれてきました。脚色とも言われてきたこの話の真相を探るべく、実際の映像と史料をもとに取材を開始。シリーズ第2回では、米国立公文書館で見つかった「軍艦島逃走シーン」に迫ります。

逃走中の映像を発見

まず見つけたのは米国立公文書館に所蔵された「南太平洋での潜水艦の活動」と題されたカラー映像でした。

浮上航行中の潜水艦ー、ディーゼル排気の先に浮かび上がった、独特な輪郭をもつ島の姿…「軍艦島」だ!

「端島」である確証を得るまで

初めて見る映像でした。「端島」や「軍艦島」の表記はありません。確認のため映像を、元島民で端島小中学校同窓会の会長・石川東さんに見てもらいました。石川さんは1945年10月生まれで、島の歴史や人脈に詳しい方です。

記者:
「これは端島ですか?」
石川東さん:
「そう、端島。これが30号棟、水タンク。独特の形をしているからね」

※注:元島民は基本的に「軍艦島」の呼び名は使わず正式名称の「端島」とよぶ。人によっては「軍艦島」という呼び方を嫌う人もいる。

写真との照合

石川さんが指摘した「30号棟」は、端島最南端に位置していた日本初の鉄筋コンクリート造集合住宅です。

写真と映像を照合したところ、尖っているように見える「第二竪坑櫓」、山の頂上のように見える「貯水槽」、その下にある四角い黒い影の「30号棟」のシルエットが一致。

映像に映っていたのは、間違いなく軍艦島(端島)。戦時中の島の姿を捕えた貴重な映像だったのです。

魚雷攻撃の瞬間は?

ただ、この映像に「魚雷攻撃の瞬間」は映っていませんでした。映っていたのは、潜水艦が軍艦島を背にしながら浮上して離脱していくシーン。乗組員とみられる兵士たちは、双眼鏡を手に周囲の警戒を続けていました。

周囲を警戒する米潜水艦乗組員

ー攻撃の”あと”の逃走シーン?
ーなぜ警戒を続けている?
ーなぜこの場面を記録した?

駆け巡る疑問を抱きながら、さらに約2週間、魚雷の映像を探し続けました。

そして、ついに見つかった

行き詰まりかけた取材の末、信頼する映像リサーチャーの協力を得て、ようやく探していた“瞬間”が記録された映像にたどり着きました。

それは白黒映像。軍艦島の方向に魚雷が撃ち込まれ、爆発するシーンが記録されていたのです。

映像は存在しました。アメリカ軍は”本物の軍艦”と間違えて島に魚雷を打ち込んだのか?

シリーズ第3回では、魚雷が撃ち込まれた“その瞬間”の映像とともに、当時の端島の様子、そして米軍の記録に残された「軍艦島攻撃」の真実に迫ります。