「一本柱鳥居」の近くに家があった
爆心地から800メートルにある「一本柱鳥居」。被爆当時、小川さんの自宅はこの近くにありました。原爆投下から一週間後、家族とともに疎開先から戻った当時1歳の小川さんは入市被爆しました。

小川さん「確実にここにいたら我々は存在していなかった。家屋も全壊ですのでね。その辺に思いをはせてくれればいい、亡くなってたんよって、百音ちゃんも生まれていないよって」
小川さんは去年膀胱がんを摘出。被爆との関係はわかりませんが、戦後、家族を次々と病魔が襲います。

小川さん「白血病で姉が亡くなり、母は膀胱がん、父は脳梗塞。どんな因果関係だったのかはわかりませんけど、父は55で亡くなったから影響があるとかなとは思ってます」
写真が趣味の小川さん。長崎原爆の日が風化しつつあるのではないかと危機感を持ち、8月9日の11時2分にカメラのシャッターを切る取り組みを15年前から続けています。
その活動がピースボートの目に留まり、証言の航海への招待を受けた小川さんは活動を手伝っていた大学生の百音さんを誘いました。

小川さん「継承をさせるためというのもあったんですね、そのためには小中高では平和教育ばしとるでょうけど、より実践的にですね、世界を見てほしいなというのもあったんですね」
百音さん「私にとっては学校休まないといけないのが大きかったので、もう大学3年生だし、なんというか微妙、ちょっと強制・・・」








