殺して殺してと亡くなっていく。それを始末しなきゃならない人間もいる
吉村光子さん:
「私は当時22才の誕生日を過ぎてすぐ、三菱長崎兵器製作所の給与課という所に勤務しておりました。昭和20年8月9日。室内にピカっと何とも言えない光が来まして、思わずそろばんの手を止めた時にがー!っという何とも知れぬ音と爆風が窓ガラスを粉々にした」

爆心地から1.1キロ。
全身にガラスを受けながらも生き延びた吉村さんは、焼け残った工場で被爆の4日後からけが人の救護に当たりました。当時22才。

吉村光子さん:
「殺してくれ、何で殺してくれんとか、コラー殺せ!! ──夜となく、昼となく、そう叫ぶ人ばかりです。
女の子なんか『おしっこ』と言いながら(全身やけどで)触る所もないのに、洗面器持って行っても 手の上におしっこされて」


「こんな大きなウジ虫が…傷口には這って回ってます。『痛いよー何で取ってくれんとか!?早く取れーこの虫とってくれー』
…毎日何人かは亡くなっていくんですよ。その人達は広場に連れて行って、抱えることもできないような人達を連れて行って油をかけて12時間燃やすんです。
誰が誰のお骨かも、頭の骨も、足の骨も、何もかも一緒くたにしてバケツに入れて並べていくんです。そんな…この人たちに何の罪があるのか…殺して殺してと亡くなっていく、それを始末しなきゃならない人間もいる。
…皆さん本当に戦争をしたいと思いますか?絶対に戦争だけはしてはいけません」

「原爆を持った大きな国に囲まれている日本は小さな島国。だから『日本も原子爆弾を作れ』なんて言う人いるけどもってのほかです。原子爆弾なんか要りません。必要ありません、あんなの。たとえどんな国が原子爆弾いっぱい持っていようが日本は日本です。お願いします」


「ありがとうございました。おかげさまでね、学生さん達に聞いて頂けたの良かったと思います」
話を聞いた中学生:
「今日お話を聞いてとても恐ろしくて絶対に何があっても(戦争は)止めないといけないなって思いました。めっちゃ会えてよかったです。今まで生きてくれてありがとうって言いたかったです」

吉村光子さん:
「もう二度とあってはいけませんよ。原爆なんてものを持つ必要はないですよね。ただれて ただれて…。
原爆で死ぬって言うのは本当に哀れですよ。あとどれだけの命があるか分かりませんけどね、でも生きている限りはまだまだ頑張りたいと思っています」