被爆地、長崎から核兵器の非人道性を訴えるシリーズ「NO MORE」。
今回は御年100才の女性です。22才で被爆し、極限状態を生き抜いてきた吉村光子さんの貴重な証言です。最終回は、中学生を前に語った気迫の被爆証言です。(全3回)
▼第1回「人間は欲たらしい。生きたってことがあんなに嬉しいなんて」
▼第2回「絶対に悲観しない。誰だって這い上がる力を持っている」
86歳下の中学生への講話「言いよるしこ 言う」

100才で挑む被爆講話。86才年下の子供たちへ、自分の体験を話す日です。

吉村光子さん:
「頑張るも頑張らんも、もう言いよるしこ(言えるだけ)言うだけさ」

「今度、熊本にものすごく来るね…(台湾の)半導体(企業が)…」
毎日新聞チェックを欠かさない吉村さん──老眼鏡なし。

吉村光子さん:
「神武、綏靖、安寧、懿德、孝昭、孝安、孝靈、孝元、開化、崇神、垂仁、景行、成務、應神、天皇ってずらーっと天皇陛下が…いま126代ですよ」
驚異の記憶力。

『光子』の名前は17才の時に他界した父親が付けてくれました。

吉村光子さん:「これ主人ね」

被爆後、すぐに見合い結婚。流産2回、死産1回。子供を授かることはできませんでした。

県生活学校を理事長まで務めながら、義理の両親の介護と夫の看病。夫を看取る83才まで寝るのは深夜3時の生活でした。