一歩でも父がいるところに行きたいと

福岡市の香椎海軍航空隊から偵察機を搭載するイ号17潜水艦に転属した父、肇さんは1943年1月、横須賀港を出港。

当時、日本軍が拠点としていたトラック島へ向かいました。

そして、8月19日。
ニューカレドニアのヌメア沖で攻撃を受け、潜水艦と共に海に沈みました。

母親が101歳で亡くなったあと、遺族会に加わった横山さん。
日本遺族会が実施した終戦70年の洋上慰霊やトラック諸島での慰霊友好親善訪問団にも参加しました。

(横山俊昭さん)
「トラック島については、父が最後に土を踏んだ場所ですよね、私にとってもそこに行けたらということでですね」

ほかの遺族と共にトラック島を訪問したことで、「区切りがついたと考えていた」という横山さん。

しかし…

(横山俊昭さん)
「やっぱり欲が出て、一歩でも父がいるところに行きたいと。飲んで酔うと『ニューカレドニアに1回は行かんといかん』と繰り返していたから」

そんな横山さんに、おととし、三女の智子さんが、ニューカレドニア行きを提案。
娘家族や孫たち総勢8人で、ニューカレドニアを訪ねました。