能登半島地震は奥能登の多くの酒蔵にも甚大な被害を及ぼしています。被災した酒蔵に酒造りの場を提供しようと、石川県輪島市の酒蔵で被害を免れた酒米が、小松市に運び込まれました。
Q.酒米が見つかった時の状況について
「いやぁ、うれしかったです。その時に初めてお米が大丈夫だったんだとわかったので」
明治元年に創業した輪島市鳳至町の中島酒造。

木造二階建ての母屋と酒蔵の一部が地震で崩れるなか、蔵元杜氏の中島遼太郎さんが気になっていたのは日本酒の材料となる酒米でした。
震災から17日後、一部の酒米が無傷で発見されます。中島さんは一筋の希望を見出しました。

中島遼太郎さん「(発災時は)もうどうしよう、できれば逃げ出したい気持ちだけだったが、やっとお酒にできるという希望が見えてきているので、必ずいい物を作って皆にお届けできるようにしたい」
「この酒米をお酒にしてあげたい」
中島さんの思いに応えようと、多くの人たちが動き出しました。