去年元日の地震の時は海外にいた中村さん。ふるさとの状況を見るために輪島に戻ってきたのは、1月6日のことでした。
「玄関が、ここですね」

父親が営んでいた日本料理店、兼自宅は地震で全壊。その光景を目の当たりにしながらも、「不思議と冷静にいられた」と中村さんは振り返ります。
中村輝人さん(19)
「もともと(輪島に)戻るって決めたときに、気持ちの切り替えはしてたんで。『うわー』とか悲しい気持ちじゃなくて、復旧・復興に切り替え、みたいな感じでしたね」

充実した海外暮らしから一転、中村さんが選んだのは、半年間にわたる体育館での避難生活でした。
「海外より『非日常』じゃないかと逆に思って。こっちが逆に海外っていう感じかな」

炊き出しや支援物資の配布にも率先して携わり、被災地の状況をSNSで発信しました。避難所では、ドライシャンプーを初めて使った時の動画も。現在は、かつて祖母が営んでいた小料理店を借りて暮らしている中村さん。ここでツアーの予約管理から参加者とのメールのやりとりまで、すべて一人でこなします。

公式サイトも、独学で制作。
中村輝人さん(19)
「(Qウェブ関連は誰から習った?)もう今の時代、ネット見れば全部出来ますしね。ネット見て、AIに聞いてって感じですかね」

ツアーの話題になると、中村さんの顔つきが学校での表情から一変、ワクワクが溢れます。
中村輝人さん(19)
「学校は大好きなんですけど、やっぱ僕、好きなことしかできない。(Q宿題やテストは)そうですね…全くやってないですね」

話すことが好きな自分にとって、ツアーはまさにうってつけだという中村さん。案内人として心がけているのは、画面越しでは伝わらない被災地の「リアル」です。
「これが唯一輪島に残っている公園でして。小さい公園はあるけど、ここでしか遊ぶ場がないっていう現状。若い子たちが言うのは『高齢者中心の町』やとか。若い子は住めないって言ってますね、正直」
「復興の兆しがない現状。復興の熱意を持ち続けて行動するのも大変だし、途中で途切れる人もいるんです」

震災で変わりゆくふるさと・輪島。若い世代の思いや葛藤の代弁者となるのが、中村さんが自分に課した役目です。
中村輝人さん(19)
「こういった場所を歩きながらツアーするけど、こういった現状をやっぱり言いづらいのもある。若い子も輪島にいませんし。地元民なんで、そういった意味では『僕がやらないと誰がやる』って気持ちでやってますね」

「輪島は嫌い。でも、どこか放っておけない」
被災地に生きる19歳の言葉です。