去年の能登半島地震以降、奥能登4つの市と町に移住した人は、少なくとも58人に上ります。自治体ごとの内訳をみると、珠洲市や能登町で特に多いことが分かります。今回取り上げるのは、今年3月、珠洲市に移住したばかりの2人の若者。老舗豆腐店の救世主となるだけでなく、奥能登の住民たちにワクワクを届けたいと、奮闘する姿がありました。

能登半島地震の後、珠洲市でおよそ1年ぶりに再開した、豆腐店の移動販売。仮設住宅に響くラッパの音に住民たちが集まります。

「こんにちは~、町野から来ました。谷内のお豆腐です」
「木綿豆腐を」
「このサイズでいいかね、でっかいの」
「昔から谷内さんの豆腐を食べてます。再開はやっぱり嬉しかった」


輪島市町野町にある「さいはての谷内のおとうふ」。創業およそ60年、3代目の谷内孝行さんが、祖父の代から伝統の味を受け継いでいます。青い軽トラックで住宅を一軒一軒まわる昔ながらの行商スタイルは、豆腐店の売り上げの半分以上を占めていました。


しかし、能登半島地震で移動販売は中断。さらに…。

3代目・谷内孝行さん
「看板の『谷』の文字が隠れるくらい、水が来た。本当に心が折れたという声をよく聞いたので、もう一度立ち上がる力があるかというのはずっと心配だった」


豪雨では工場への被害を免れたものの、地震以降、2次避難などで14人いた従業員の半数が退職。移動販売の人手は足りず、配達ルートの縮小などを余儀なくされました。

去年9月の豪雨で工場前は濁流が飲み込んだ(谷内さん撮影)


3代目・谷内孝行さん
「そこに新築中の看板が出てたり…。建てる方も、やっぱりいるんだなと思って。(Q寂しいような感じ?)全然見慣れた景色じゃなくなってしまって…」